ガレット そば粉のクレープ

そば粉を使うのは、日本やアジアばかりではありません。
そば粉はヨーロッパでも用いられています。
そば畑は十字軍が通った道筋と関係が深い言われ、
そばは、スペイン、イタリア、東欧など、主にカトリック圏で栽培されています。

フランスでそば?というと意外にに思う人もいるかもしれませんが、フランスは、そばの作付面積こそ日本の4割程度ですが、単位面積当たりのそばの収穫量については、何と日本の3倍もの地力を持ちます。

フランス語でそばは、「ファリーヌ・ドゥ・サラザン」で、つまりサラセン人が運んできた穀物という意味になります。ペルシャ商人がラクダの荷車でシルクロードを伝って(あるいは海路で)運んできたと言われています。そば粉を「サラセン粉」とも言うのは、このことから来ています。

フランス北西部、パリから西へ約500キロ移動して大西洋の海岸線に沿って、3県にまたがるブルターニュ地方では、昔からそばを栽培し、常食にしてきました。ブルターニュ地方は、気候が冷涼で、土地もやせ、小麦の栽培が困難だったことから、そばを栽培し続けながら、酪農を発達させてきました。イギリス海峡の海霧を受けて湿潤な気候は、そばの栽培には適していたと言えます。現在でもこの地方では、そばを「地力維持上、輪作体系の1つとして組み込んでいる」のだそうです。

自給自足のこの地方の農家の人々は、そば粉と水と塩のみの生地を、古くはそば粥やそばがきにして食べていました。そんなある日、そば粥を偶然焼けた石の上に落としたところ、薄いパン状に焼きあがることを発見し、以来そば粉をパンの代わりに、暖炉で焼いて食べるようになったといわれています。石で焼いた「そば焼き」とも言うべきこの料理は、フランス語で小石を意味するガレ (galet) にちなんで「ガレット」と名付けられるようになりました。

その後、スペイン王フェリペ3世の長女で、ルイ13世の妻であったアンヌ王妃が、ルイ13世に伴って、狩りでブルターニュ地方へ訪れた際に、庶民が食べていたガレットを偶然口にしたところたいそう気に入り、宮廷に取り入れたと言われています。

生地の材料もそば粉から小麦粉へ変更され、牛乳やバター、鶏卵、砂糖などが加えられるようになりました。名称も焼いた際に、ちりめんのようなこげ模様ができることから、「クレープ」(絹のような)と呼ばれるようになったとされています。

「クレープ」という名称は、今ではフランス風の薄焼きパンケーキの総称として使われていますが、生地にそば粉を用いたクレープは、依然として「ガレット」もしくは「クレープガレット」という名で、庶民に親しまれています。

クレープガレットの店は「クレープリー」と呼ばれ、ブルターニュ地方で「クレープリー」は、カフェの数より多いほどです。
予め前夜にそば粉100%に水と塩を加えてペースト状にしておいた生地を、鉄板の上でヘラを使って薄い煎餅状にのばし、焼いていきます。豊かな自然と塩や乳製品などの食材を誇るブルターニュ地方では、さまざま食材を具として合わせて、「ガレット」を仕上げています。バターやチーズ、木の実、野菜、蜂蜜ハム、ソーセージ・・など、「ガレット」には何でももよく合います。
そこでは、「ガレット」は、リンゴで作った「シードル」という発泡酒と一緒に取るのが普通になっています。

低廉で、気軽に口にでき、どんな具にも合うガレットはパリっ子にも人気です。フランス料理といえば豪華絢爛な美食と思い勝ちですが、「ガレット」は、伝統的な家庭料理をレストランメニューに持ち込んだものと言えます。

パリのモンマルトル界隈ではクレープリーが何軒も軒を並べています。エッセイスト・画家であり、ワイナリーオーナーでもある玉村豊男さんによれば、「パリにクレープリーは120軒以上あり、そば粉のヘルシーさが受けている」(中央公論社「パリ物語」より)のだそうです。
近年、パリの銘店が銀座にも登場し、「ガレット」は、わたしたち日本人にもすっかり馴染みのメニューになりました。

実はこのガレットは、日本でも「そば焼き」として食べられていました。
大阪冬の陣の際、籠城中の秀頼の家臣や侍女たちは、そば粉を水で練った生地を焼いた「そば焼き」に味噌を付けたものを、毎日食べて過ごしていたことを、侍女が日記に記しています。

ちなみにヒマラヤ周辺の人々は、昔からダッタン種のそば粉を、硬めに練ってパン状に焼いて食べていたそうです。「ガレット」って、世界各地で、歴史の古いものなのですね。